恐怖との付き合い方
新しい事を始めようとすると感じる恐怖。
あれって無駄だよなーと感じつつ、なんで人間にそんなシステムがあるんだろうと思っていました。
まるで、
「そっちに行くなー!今まで通りのリズムを壊すなー!」ってブレーキをかけてくるみたいに、
新しいフィールドへ行く事を引き止めてくる。
多分本能的なものなんだろうと思う。
人間が今のような文明社会になる前は普通に動物だったし、
その動物期間の方が、今の文明を築いて生活している期間より遥かに長い。
その動物期間の時に、お猿さんだった頃に、
恐怖を感じないチャレンジ精神満載のお猿さんたちはどんどん死んで行ったんじゃないかな。
海を泳いでみたい!とか
火山の火口を見てみたい!とか
ライオンと友達になりたい!とか
そういう事を考えて、実践したお猿さんたちはどんどん死んでいった。
逆に、「俺たち猿なんだから海なんか泳げるわけないよ」とか
「火山とか怖いよね」とか
「ライオンと友達になれるわけないじゃん。食われるし。」とか
そこまで頭を回して考えてはいなかっただろうけど、
それに対して恐怖を感じて、
チャレンジしないお猿さんたちは生き残る可能性が高かった。
そんなお猿さん時代に培われた何千年、何万年分の本能が、
「チャレンジしない方が生き残りやすい」というシステムを人間に作り。
新しいフィールドへチャレンジしようとすると、恐怖を感じるのかもしれない。
だから、チャレンジ精神がない人ってのは、むしろ正常な人だと僕は思う。
チャレンジ精神がある人が少数なのは当たり前なのだと思う。
僕自身は割とチャレンジしてしまう方かもしれない。
普通怖いと思う事に対して面白いと思ってしまうタイプの奴だ。
それでも多少なり恐怖的なブレーキはかかるものを感じる。
例えば転職とか。
普通にそのままそこで働いて入れば今まで通り普通に暮らせるでしょ!っていうブレーキをかけてくる。
でも、いざ転職してしまうと、恐怖は消えて、そこで生き抜くために全力で脳が働き始める。
脳の声「せっかく恐怖を感じさせたのになんでー!もう恐怖を感じさせても意味ないから協力するわ!」
って文句を言いながら協力体制に入ってくれる。
それが面白くて笑ってしまう。
恐怖なんて本当に怖いんじゃない。
ただの脳が作り出した妄想だ。
一歩踏む込んでしまえは、一瞬で消えてしまうようなもの。
だから僕は人間の感情はぜんぶ簡単に作れると思っている。
妄想だから。
さっきまで元気がなかったけど、1分で元気になったりする。
なんだこりゃ、って毎度思う。
ここんところチャレンジ精神が旺盛な人が増えてきているように感じる。
特に若い子。
だって今の文明社会で、チャレンジして死ぬことなんてまずない。
人間は猿ではなくなった。
お猿さん時代の本能を少しずつこれから塗り替えていくんだろうなと感じる。
たぶん、遠い未来、恐怖という感情は今と全く違うものになっている気がする。
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