喧嘩するほど仲が良くなる原理

本当は全く違う内容を書く予定だったのだけど、これは書かずにはいられなかったから予定変更!


今日暗殺教室2期18話(アニメ)を見てすごく感じたものがあった。


喧嘩するほど仲が良いっていうあれ。

喧嘩した後に仲良くなるっていうあれ。


もちろん喧嘩した後に関係が悪化するというパターンもあるけど、より関係が深まるという事も実際ある。


今回は、喧嘩して関係が深まるという方面について「ピーン!」ときたものがあったから記してみる。


「喧嘩したのになぜ仲良くなるの?」

僕は今までそれが腑に落ちなかったけど、今日すごく分かった気がした。


この「暗殺教室2期18話」でのお話では、

ナギサ君とカルマ君が喧嘩をする。(2人とも同じ学校の同じクラスの生徒)


この2人の意見はこうだ。

ナギサ君は「先生を殺さない方法を探したい」

カルマ君は「先生を殺した方がいい」


この殺す、殺さないというバッティングしたそれぞれの意見を押し通すために喧嘩をする。


喧嘩の果てにこの2人はすごく仲良くなる。。。という流れ。




この喧嘩を見て思ったのは、

「俺はこう思っている!」と嘘偽りない自分をさらけ出し、本心を思い切り相手にぶつけあっているという事。


この本心を見せるって意外と出来てない事なのかもしれない。

「これを言ったら嫌われるかも」とか普通は考えて、我慢して、偽りの仮面をかぶった自分を見せてしまう。


本当の自分を見せてしまうと友達辞められてしまうかもとか、恋人に嫌われるかも、とか色々な理由から、自分を良く見せようと偽る。


そんな偽った自分を見せながら続ける関係よりも、

自分の本心を、ありのままの自分をぶつけた喧嘩相手に愛おしさを覚えるのは、当然の流れなのかなと思った。


本当の自分を見せた、本当の自分でいられた、本当の自分を見てくれた、本当のあなたを見せてくれた、そんな相手と仲良くしたいと思えるのは当然のことかもしれない。


だからといって僕は喧嘩は嫌いだ。

痛いのは嫌だし、痛めつけるのも嫌だ。


でも、この答えた見えた時、喧嘩そのものが大事なのではなく、本当の自分を見せるという行為に「喧嘩するほど仲が良い」という核があるように思えてほっとした。


よかった、痛めつけ合う喧嘩そのものが重要なんじゃない、

本当の自分がそこにいて、認識してもらえてる事が重要なんだと思ったから。


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暗殺教室、すごく面白い漫画(アニメもある)です。

人を育てるという事について考えさせられる作品。

作中にある「触手が私に聞いてきた」というフレーズもすごく現実に置き換えられる深い意味を持ってます。

僕はすでに最終回は号泣確定。

かんとりーまーむ

まーむ=僕 の作る かんとりー=街

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