料理を勉強して思った、物語をいただく感覚

最近料理の勉強を少し趣味程度にしている。

とは言ってもyoutubeで一流の人たちが料理している映像をただ見ているだけなのだけど。


動画の中には鳥をシメて皮を剥いで〜ってところから

調理の動画が始まるものもある。

豚の肉の解体から始まるものもある。


そういうのを見て知った。

いや、知っていたけど実感がなかっただけかもしれない。


だから、


思い知った。が正しいかもしれない。



スーパーに売られているお肉も、元は生きていた動物なんだという当たり前に事実。

命を食べているという事実。


そしてそれを食べやすい形に加工してくれている人たちがいるということ。

僕は解体には抵抗があって、出来る気がしない。

でもそれをしてくれる人がいないと僕はお肉が食べられない。


何気なく買っていたお肉や野菜には、

目の前には感謝すべき対象がたくさんいた。


たくさんの人が関わって、今僕の目の前にいる。

その物語をいただく。


そんな気持ちで食事ができるようになった気がする。


食欲を満たす食事はもうあんまりする機会が無い。

それほどまでに日本は快適で満たされている。

快適で綺麗で美しいものだけを見て生きていけている僕の裏には、危険で誰もやりたがらないような仕事を体を張って頑張ってくれている人たちがいる。


それが今年すごくわかった。


目の前の景色にはたくさんの物語が含まれている。

それをたくさん感じてみたい。

かんとりーまーむ

まーむ=僕 の作る かんとりー=街

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